1977年、12歳の私にヒーローが現れました。
それは丁度、日本のヒット曲の中心がフォークソングから『ニューミュージック』への移行期。
(世の中がまだ理解できず、原田真二はフォークソング歌手と言われていた時もあります。デビューが吉田拓郎プロデュースだったからかも知れない)。
(曲を)書けて、(ギターやピアノなど)プレイできて、(熱く)歌える。
貴重なおこずかいから、都度シングルレコードを買いにレコードショップへ。
ヒーローの名前は原田真二さん(18歳)。
ロックミュージシャン、シンガーソングライター、プロデューサーです。
子供ながら、なんて魅力的なメロディをつくる人なんだろうと惹きこまれましたが、同級生にも彼のファンだと公言する者が多数出現。
ところが当時の多くは、新しいタイプの「男性アイドル」として女子に人気だったんです。
同じクラスの女子達の意見はこんな感じでした。
1.甘いルックス。ビーバーみたいでかわいい。声もハスキーでかわいい。
2.男なのにピアノを弾きながら歌ってすごい。
3.曲がかわいい。
2.男なのにピアノを弾きながら歌ってすごい。
3.曲がかわいい。
ブロマイド写真が売れ、下敷きが売れ・・・。
『てぃーんずぶるーす』(デビュー曲)
『キャンディ』
『シャドーボクサー』
一ヶ月おきにリリース(トリプルリリース)されたこの3曲が一気にヒット。
オリコンのベスト20に3曲同時にランクイン(史上初)。
アルバムがオリコン初登場でいきなり1位(史上初)。
次のシングルが『タイムトラベル』。
『サウザンド・ナイツ』。これも今までの余韻でややヒット。
ところが、彼はアイドルではなく天才的な音楽家でした。
作品をどんどん高めていき、遂に 『OUR SONG』という、美しく、自身の作詞によるメッセージ性に富んだロックバラードを発表。
私にとって今でも彼の一番の名曲なんですが、
当時一般的にはわかりづらい曲で、女子からすれば「テンポがつかめず」「ポップじゃない曲」が発表されたことになりファンが激減。
ファンを公言していた女子たちも、いつの間にか次の歌手に乗り移っていました。
もっとも、彼はアイドル的扱いに限界を感じ、創作活動のため独立。
『スィート・ベイビー』 『MARCH』と力作を発表(『MARCH』は、歌詞を読むとアイドルへの決別と捉えられます)。
真二さんは才能に溢れ、熱いパワーの塊のような音楽人。
カラットしていて、ハツラツとして、かつ繊細。
内面の緻密・繊細な部分で曲をつくりあげ、ステージで大爆発させる。
デビューして33年間、彼は2009年を除きシングルやアルバム作品をコンスタントに出し続けていますが、これまでの評価が低すぎるミュージシャンのひとりだと思っています。
機会があれば、いまの若い人たちにも上記の曲を聴いてもらいたい(YouTubeでも見れるはず)。
30年前、時代のずっと先を突っ走っていたミュージシャンがいたんだと驚く人も少なくないと思います。
ライブも必見。
明後日は大阪、その翌日は岡山でライブがあるようです。
今年、北海道には来てくれるのかなぁ。