◆純喫茶ヒッピー◆

昭和喫茶の放浪ブログ。NIPPON COFFEE SHOP TOUR

淡路島に寄った理由

人間にはそれぞれ思い出なんてものがありまして。
 
たった一日、あるいは一時間のことでもいつまでも記憶に残る出来事になったりします。
私の場合は、だいたいは、人が関連する出来事が忘れられません。
 
 
いまから28年前の1984年。
まだ未成年の私は旅行中でした。
日本徒歩縦断の旅で、種子島から稚内まで一人で歩くというヒッピーぶり。
旅の途中、何度か町の純喫茶に寄ったりしました。この頃からすでにキッサが、好きだったもんで。
ヒッチハイクではなくとにかく徒歩なので移動スピードが遅く、一日平均50~70キロ歩き、体力がゼロになった地点で寝るという単純な日々(私の一日の最高徒歩記録は74km ← 朝から20時間歩き続けた時)。
今週の私はかなり歩いている気がするけど一日10~20kmです。
 
若かったといえども当時は倒れこむように普通の道端で眠りに落ちたこともありましたし、だいたいは駅舎、公衆電話ボックス、浜辺などがホテル代わり。金はないんだけどたまーには安宿(ユースホステルなど)にも宿泊。
 
 
でも、歩く旅で良かったなーと強く思うことがあります。
それは出会いの多さ。
自転車やバイクの旅は効率的だけど、歩くと想像つかないほどいろんな人に声かけられたり、いろんな厚意をうけたのです。
なんせ、町の人々と同じスピードで移動してるんだから、真っ黒に日焼けしたリュックしょった少年はけっこう目立って興味をもたれたんだと思います。
 
 
 
なので各地に 『恩人』 がいて、そういう人たちのことを忘れられない。
淡路島にも三人の恩人がいます。
 
もう28年も経ったからダメモトで動きましたが、一人は(夫婦)淡路市北淡で会えました。
以前アパートに泊めてもらった教師の方です。既に定年で退官されておりました。
自宅は、阪神淡路大震災の影響で引っ越していたけど、しばらくお茶の間で話をできて、よかったよかった。
段々畑を見おろす、景色のよい山あいにお住まいがあり、
話し過ぎて(?)夜になってしまい、泊まってっていいからと言ってくださいましたが、この日は島の中心部である洲本市に行く予定だと話すと、20kmも離れているのに車で送ってくださいました。
また、お世話になっちまったなぁ。
 
 
そんなこんなで淡路ネタは続きます。
 
※この島の残り二人のエピソードについては後日。
 
 
 
 
恩人とともに見た島の夕日
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