前回の経緯
 
 
 
 
 
28年前の日本徒歩縦断の旅行でお世話になった三人に、できれば会いたい、会えなくても思い出の場所に行ってみたいと思い北海道からやってきた淡路島。
 
結果的には一人目は会うことができたが、淡路島の南端、福良(ふくら)に住む二人目、三人目には会えなかった。
 
とくに二人目には思い入れがあった。
 
歩道を歩いていた私に「暑いから麦茶でも飲んでいきなさいよ」と声をかけてくれたお爺ちゃん。
上半身裸でニコニコしている。
お言葉に甘えて一休みしたあと、お別れを言ってまた歩き出したが、しばらくして財布がないことに気がついた。
一日平均300~500円(食事はジャムパン三個、水分は公園などで補給、ほぼ野宿)でやりくりしてた身にとっては、財布の一万円は大金。
 
さっきの爺ちゃんとこに忘れたと思い引き返したものの、どこにもなかった。
(結局、路上に落としたらしく、後日地元の警察から連絡があり、無事戻ってきたのだった)
 
 
私は無一文になったものの、あまり表情には出さずに去ろうとしたのだが、その爺さんはこう言った。
 
「裸で手渡して、すんましぇん。」
 
そう言って譲らない。
まったく恩着せがましくなく、見ず知らずのガキに、頭を下げながら五千円をくれたのだ。
しかもあろうことか、10代のガキの私に合掌している。
 
旅行が終わるとすぐ、北海道から礼状を書いて五千円を返し、夕張メロンも送ったが、いまでも爺ちゃん(樫木さん)のことを神様だと思っている。
 
あれから28年、爺ちゃんはすでに亡くなっていた。
でも奥さまはまだ88才でご健在で、仏壇に手を合わせて当時のことを話すと、涙ぐみながら、
忘れないで覚えていてくれて、遠いとこ来てくれて、ありがとうと言ってくれた。こっちこそ、年齢を計算するとご存命は難しいだろうと思っていたので、仏壇にお参りできてありがたかった。
 
 
福良の街並み。この並びに恩人の家がある。
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まぁ、そんな感じで今回の淡路島の旅は終わり、いざ四国へ。
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大鳴門橋の真下、「相が浜」に降りてみる。
向こうに見えるのが淡路島。
 
ここで面白い現象が。
橋の左右で、海面の高さが違うのだ。
これが渦潮の要因にもなっているんだと思うのだが、橋の右の波が左側にどんどん流れていた。