2002年秋、石狩浜夕暮れ。 撮影:JKH
私は10代の頃から喫茶店に出入りして、1980年代は種子島~知床まで徒歩の長旅に出て、国内各地の喫茶店でコーヒーをいただきました。
自分のテーマは「普段歩かない道を歩く」、それだけであり、その道中にみかけた街並み、喫茶店、公園、商店街、団地、自然、さらにはいろんな人たちとの出会うということです。
当時は喫茶店がただ好きで、写真を撮るという感覚はなかったのですが、
仕方のないこととはいえ、自分の憩いの居場所ともいえる喫茶店・昭和スポットが、近年速度を速め消えていく状況に危機感を感じ、微力ながらこうしてブログ「純喫茶ヒッピー」にも残しているのですが、私と同じように昭和な喫茶店とそのマスター、ママさんたちを愛し、全国を旅しながら取材してきた一人の男性がいます。
「純喫茶保存協会」の山之内遼さん。
2013年11月に喫茶店の本を出されたばかりです。その本に対する読者コメントの中に、気になる表現があるんだけど、と昭和スポット巡りの平山さん宅にお邪魔しているときに聞きました。
私も気になってあとで出版社に電話で伺ったところ、不慮の事故により逝去されたことを確認致しました。
私も気になってあとで出版社に電話で伺ったところ、不慮の事故により逝去されたことを確認致しました。
出版後、まもなくということです。
彼のブログを拝見してみると、2013.11.20の更新で止まっています。
私が彼の立場なら、突然旅立ったことを皆さんにちゃんとお知らせしたいと思います。
ブログや活動は決して放り出したのではなく、もう自分での更新はできないということ、そしていままで共感してくれた人たちにありがとう、と伝えたいと。
私は彼と面識はまったくありませんし、メールのやりとりすらもありません。
しかしそのような状況がわかった以上、もし保存協会のブログを見る方の一部でもここに来ていただいているのなら、彼に代りお伝えしたいと思ったのです。
(保存協会に会員さんがいるのか不明ですが、ブログに訃報が未掲載なのは更新の権限がないのだろうと思った次第です)
喫茶店はあまりに魅力的で、これまでたくさん行ったのにまだまだ足を運びたいと
思うものです。ひとりの人間として限られた時間と経済的事情の中で許される最大限を喫茶店で使いたいと。
その点で、まだ三十路にも満たないという彼は残念な思いでしょう。
でも反面、喫茶店という憩いの場所の存在、店主たち、ブログの読者、出版社などに深く感謝していると思うことは同じ活動家として間違いないと確信しています。
純喫茶保存協会
山之内遼さんへ
あなたの行動力に感心していました。
いつか会って、喫茶店の話をしましょう。
2014.1.17 純喫茶ヒッピー
蛇足ですが、このブログも もし挨拶もなく急に止まれば、似たようなことと
お察しください。
長生きする予定ですが、こういうことにもなるんだなと感じたものですから。