COFFEE & MUSIC
ウィーンの記憶
北海道札幌市中央区南2条西7丁目



昨年末に閉店した名曲喫茶ウィーンについて、このブログでは連載していますが、ひとまず本日の記事で最終です。
ついにウィーンも閉店してしまいましたし、北海道内の喫茶店の掲載から始め、全国の喫茶店記録に広がったこのブログもそろそろ潮時かなという思いも正直なところあります。


さて、このたぐいまれな喫茶は間違いなく札幌市における喫茶店文化の中軸でした。
そこで少しでもウィーンの歴史などを記録しておきたいと思い、本日の記事と致しました。

ウィーンについてはこれまで新聞やテレビで多く取り上げられてきました。
しかし情報の保存性という点ではテレビでは放送、新聞は掲載が終わるとすぐ消えてしまうのに比べ、ブログはいつでもここで読み返すことができます(Yahooがブログサービスを終了させない限りですが)。

それではウィーン連載の最終回として、横山マスターに語っていただきましょう。
いままで雑誌などには掲載されていないお話も伺えました。



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店主 横山信幸樣に聞くウィーン 
 
 
クラシック音楽が大きな音でかかる中、体が弱って大きな声がでないマスターは呟くようにお話になられたので一部聞き取れないこともありました。
以下の文は聞き取れた言葉を用いて文のように私がつなげたものです。



・ウィーン誕生

東京の学生時代を終え帰札し、父のビルの地下で名曲喫茶を始めることにしました。
学生時代は東京でしたが、子供のころから喘息持ちで家のラジオでNHKのクラシック放送を聞くのが好きだったので
東京でも「田園(国分寺?)」「ランブル(新宿)」「ウィーン(お茶の水)」などの名曲喫茶に足を運んだり、レコードや国産オーディオをいろいろ集めていたのでこれを使って店の準備をしました。


当時は札幌市にも喫茶は多く、紫烟荘(南3西4)は有名だったし、名曲喫茶もあり、特にセコンド(南2西5)には私も良く行ったし、
ボアという店も覚えています。
 
帰郷後、会社勤めをする気は最初から無かったので、好きなクラシックを流す喫茶店を始めることにしました。
クラシックのレコードも趣味でSP盤など200枚は持っていました。
建物のできあがりがちょうど12月の予定でしたので、12月23日にリハーサルを行い、
そしてクリスマス・イブ(1959.12.24)にオープンしたのです。


私のほか、女性スタッフを2~3名ほどで運営。
当日はお客さんは5、6人ぐらい来るかなと思っていたのに、階段まで人が並んだものだからとにかくびっくりしました。
以後、クリスマスは満席になりましたし、大みそかは夜通し営業しました。
学生のお客さんの中にはレコードに合わせてタクトを振っている人もいましたね。


コーヒーは50円で出していましたが当時のレコードは2000円もしたので、買う代わりに名曲喫茶に行く時代なんです。名曲喫茶は需要があったんです。



 
・店舗等のデザインについて
 
ビルの正面に向かって右の入り口は私が名曲喫茶ウィーンを、左は兄がジャズ喫茶を営みました。
兄の喫茶の名前は忘れてしまいましたが平和ビリヤードの上(二階)です。
外観は開店当時はもっと小型のテントの庇が入口にあるだけでしたが、
後年、最近まで使っていた縦長のテントに替えました。
後年といっても40年以上は縦長テントです
(このテントは雪の重みで一部垂れ下がったり劣化したため業者が撤去)。

灯りが付く自立看板はいまは青色ですがその前は白いものでした。
マッチや看板等で使ってきた店名の字体ですか?
これは当時の画家(名前失念)によるもの(だから少しずつ微妙に違う)。
 


・音響設備について
 
当初は日本製のオーディオでした。
スピーカーはほぼ自分で組み立てたものです。
人に見せるほどでもなかったのでブルーのカーテンで見えないように置いていました。

そのうち、アルテック、JBLも使ったが現在のマッキントッシュがクラシックには一番良いと感じています。
ただ、現在のスピーカー(McIntosh XRT290)の音は、今では「古い感じ」がしています(←マスターの印象)。
クラシック音楽のスピーカーにはタンノイも良いと話も聞きますが私は使ったことはありません。
 


・クラシック音楽と名曲喫茶について
 
名曲喫茶?
当時は6軒ほどありましたが、もうここだけです。
この業態ではもうやっていけないからでしょう。
喫茶という業界もクラシック音楽の世間での人気も、当時より衰退しているように感じます。

来てくれるお客もほとんどは50代より上ですね。
クラシックのコンサートにもよく行きましたし、札響の方の来店もありました。
音楽家ではベートーベンが一番好きです。親しみやすい曲を作るし、大したものだと思っています。
 



・最後に

私は25歳でここを始め、83歳になります。
開店当時学生だった常連さんは、もう定年退職しています。
ウィーンの建物自体、外からみると少し斜めになっているし階段も割れたりしているんです
残念ですが閉店します。

『ウィーンは「人生」そのものでした。』
 



(お話しを伺ったあと)

「シューベルトのクリスマスソングです」と教えてくれて耳を澄ました。
Ave Mariaなどが美しく流れた。

マスターが音楽を聴くときのこの姿勢が忘れられない。
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(終)




2021.10 その後の様子。
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