小学生の頃はスーパーカー、フラッシャー自転車にのめりこみ、
中学生はラジカセとBCLラジオにのめりこみ、
高校生からはオーディオにのめりこんだ。
そういう時代だった。
さて、BCLとは主に海外の短波放送を受信するものだ。
でも放送を楽しむどころか、デジタル式が無い頃のラジオなので、まず受信すら困難だった。いや、デジタルはたしかソニーなどで発売されていたが、ラジオなのに当時で一台60~100万円するものもあった。
とにかく、ラジオ、ラジカセ(高校~大学はオーディオ)のあらゆる雑誌、カタログを読みまくった。
しょっちゅう、「コーヨー無線」や「ダイエー電化製品売り場」や「近所の電気屋」に自慢の自転車(速度メーター、ウインカー付き)「丸石ジャンプ5」で向かった。
実物が欲しいので新聞配達をしていた。
初めて、ナショナルのクーガー2200というBCLラジオを購入。
BCLブーム真っ盛りの当時発売されたラジオの中でも代表格であり、
クーガーシリーズの頂点、価格は34,800円だった。
回路にはナショナルが誇るダブルスーパーヘテロダインが採用され、
超アナログ機ながら非常に細かなチューニングが可能。

さらに初めて、ステレオ式のナショナルのラジカセ ディスコX(エックス)を購入。

それまでは自宅にモノラルのラジカセしかなかったので、左右から別々の音が出てくることに驚き、しばらくは毎日磨いた。
さらにはメーカーに直接、「こういうデザインのラジカセを作るべきです」と、設計図を開発担当部署に郵送、生意気なことをしていた。
(ほとんどのメーカーさんから、感謝の手紙が届いた)
このようにナショナルさんには縁があり、大学生の頃はナショナルのテレビCMが採用されてしまった。けっこうひんぱんにお茶の間に流れたが、奇をてらった構成だったので、糸井重里さんには「君は野球のバッターだとすると、打って三塁に向かって走るから、一塁に走ることも考えようよ」と言われた。
でもそこに同席していた雑誌編集者から菊池桃子、日本武道館ファーストコンサートのチケットをもらったので嬉しかった。
菊池桃子さんが、客席に向かって自らスポットライトを向けて、「今日来てくれたみんなの顔、一生忘れない!」って泣いて言ってたけど、さすがにそれは無理だろうと思った。
話がそれました。
高校生~大学生の頃になると、オーディオに夢中になった。
もう、ラジカセの時代ではないのだ。
「ハイファイ」の時代なのだ。
ありとあらゆる雑誌とカタログを何度も繰り返し読み漁り、ワウ&フラッターなど用語を完璧にマスターし、オーディオ評論家たちの名前はもちろんコメントの傾向などもマスターし、ショールームに行き、高級機を試聴だけして帰ってきた。
当時、FMラジオをカセットテープに録音する行為「エアチェック」全盛期であり、カセットテープ全盛期。テープはありとあらゆる種類があった。
価格は案外高く、ノーマルクラスで60分550円もしたのできつかった。
クロームテープだと750円、フェリクロームだと850円、メタルテープだと軽く1000円を超えた。
FMのエアチェックのための「FMレコパル」「週間FM」という雑誌も当時は大人気で、毎週のように購入した。
当時のカタログやオーディオ専門誌(「STEREO」「サウンドメイト」)などは今もかなり持っている。
カタログはもちろん無料で入手したのに35年ほど経過しているので専門誌はもとよりカタログもそれなりに価値があるらしい。
物の「デザイン」の魅力というものに気づいたのも、スーパーカーやラジカセ、オーディオ機器から。
デザインもそうだが、各スイッチのカチカチという操作感覚が大好きだった。
これらの機器で聞いていたのは主に「YMO」とそのファミリー。
もちろん菊池桃子さんはまだ好きだった(いまもファンなので)。
国内海外のアナログシンセなテクノを聞きまくったテクノな少年だった。

