個人的に特別に思い出深い住まいが、小1から小6まで暮らした札幌市南区藻岩下の四階建て社宅アパート。
札幌オリンピックの年に建てられました。
ここでずっと暮らしたいと思う程、好きな地域・アパートだったのです。
ところが小6の秋に親が北区に家を購入。
卒業間近の転校生になりました。
たくさんの友達とも別れて引越し。
引越し後もしばらくは、木造校舎の窓からクラスメートたちが手を振る夢を見続けたほど、残念な思いをしました。
自転車の補助輪がとれたのもここ。
私をその自転車ごと轢いた運転手に、お詫びにとスーパーカー自転車(丸石ジャンプ5)を買ってもらったのもここ。
トランシーバーで遊んだり野球を覚えたのもここ。
豊平川や藻岩山も近く、商店街もあって、町の隅から隅までがまるで自分のものでした。
この地域のことやアパートは、今までもこのブログで紹介してきました。
ところが先週、アパートを見に行ったらなんと更地になっていた。
あの部屋を退去するとき、部屋の木製の窓枠に鉛筆の先をギギッーっと押しつけて名前を書きました(彫りました)。
わざと強く書いて、鉛筆がいつか消えたとしても凹んだ文字が残るように。
なんとなく、またこの部屋にいつか戻ってくるような気がしてたんだよなぁ。
何年後かに部屋にもどった日には真っ先にチェックしようと思いながら書いてました。
雪の更地では、工事車両が動いています。
看板を見ると、整地して戸建住宅地に生まれ変わるようだ。
いや、このアパートが無くなることはこの付近にある軍艦岬さんという居酒屋に寄ったときに、店主さんから聞いてはいました。
もう何年も前から閉鎖されたアパートだったし、こうなることは分かっていたんですが、社宅団地が幻のように無くなった景色を実際にみるのはきつかったです。
それでも、既に無くなってて良かった。
今まさに破壊しているぞーというタイミングに出くわしたらワーンとなっちゃったかもしれないので。
でも藻岩下地区の街並みという点では、地下鉄が来ていないことも幸いし、昔からの雰囲気が保たれていて、嬉しいのであります。
と同時に、故郷をまるごと津波で無くされた、あるいは放射線のため立ち入り禁止区域にされた被災地域の方々の心境は想像を絶する辛いものだろうとも思いました。
南34条西8丁目の社宅アパート、514号室、いままでありがとうです。記憶は消えないからねー。
奥に見える二軒の民家とオレンジ色の工場は当時のまま。
破壊されたアパートのコンクリート残骸も見えます。

2014.4.13


