【小樽・オタモイ秘境特集シリーズ4】
~オタモイ遊園地・龍宮閣とオタモイ地蔵尊~
★今回は長い記事になりそうです。
お時間に余裕があるときにゆっくりとお読みください…。
北海道の秘境のひとつ、オタモイ海岸に存在したオタモイ遊園地。
過去にもブログには書いてきましたが、概略を書き留めておきます。
【概略】
・小樽の割烹料亭「蛇の目」経営者加藤秋太郎氏が、昭和初期(1936年)に開園したリゾート施設(総計22万坪?)。最盛期には一日数千人もの観光客で賑わった模様。
・莫大な投資をするが、結局17年しか営業できなかった(開園1936年、閉園1952年)
・第二次世界大戦が勃発したことによる倹約世情や、多数の災難<火事、落石、土砂崩れ、積雪倒壊など>にあう苦難の経営となった。
このため「人が近づいてはいけない神聖な場所なのだ」、という説もある。
【構成施設】
・龍宮閣
断崖絶壁に立つ高級料亭。
清水寺を凌ぐ建物を作るという志により、建築材料を船で運び苦難の建設作業の末、完成。
ここでの屋根工事はあまりに危険であり、実際に大工に死者もでた。
「龍宮」とはオタモイで見られる蜃気楼の様子から名づけられた。火災で全焼。
・弁天閣(弁天食堂)
大衆食堂(土砂崩れで崩壊)
・大演芸場
800名収容の大きな演芸場。しかも観覧無料であった。雪の重みで倒壊。
・児童遊園、ヒョウタン池
グラウンド、土俵、公園遊具、砂場、池など。
・休憩所
50名収容の無料休憩所。サッポロ休憩所という名称だった。
・オタモイ地蔵尊
悲しい出来事をきっかけに建立された地蔵尊(現存)。
子宝や授乳など様々なご利益があると伝えられ参拝者が絶え間なく訪れた。
・白蛇弁天堂
弁財天。落石で崩壊。
龍宮閣の前には崖を掘ってつくられた奥の院「白蛇弁天洞(現存)」もある。
正面の岩壁には白蛇の姿がみられたという。
まずはYouTubeに掲載された開園当初を撮影した非常に貴重な8ミリフィルム映像を紹介します。
【オタモイ遊園地 8ミリフィルム映像】
一般の方が小樽市総合博物館運河館に寄贈されたものとのこと。要は個人撮影作品。
さらに、このような歴史的映像もあるようです。
冒頭にオタモイ遊園地が。(無声動画)
【当時の絵葉書】
オタモイ遊園地の絵葉書というものが存在します。
アンティーク品として時々ネットオークションに出品されることもあるので入手も可能です。
絵葉書とはいえ立派な資料価値がありますよ。
【近年の様子】~2013年~
ここには毎年立ち寄っています。
写真を撮ることもあり、これは2013年の写真。
向かおうとするといきなり「通行止め」の注意書きが目に入ります。
ところでオタモイ遊園地の入口にあった唐門の絵、なかなかの出来ですよね。
移設された唐門はちょっと隠れ気味な場所にあり、もう少し良き場所があるのに、と思います。
「七曲り」というヘアピンカーブを抜けると駐車場に出ます。
ここからがオタモイ遊園地があった場所。
頻繁な崩落により立ち入り禁止になっています。
それでも昭和後期(平成初期?)までは人気の散策コースだった懐かしい景色はそのままなので嬉しい。
当時のパンフレットのイラストは当時の様子を説明する案内板にも使われています。
駐車場には強い口調で「立ち入り禁止」の警告看板が立ちはだかっています。
一方、その下には「地蔵尊のカギ開けますから電話して」の案内。
相反していますよね?
実はこういうからくりがあります。
・小樽市としては頻繁な崖の崩落を把握しており、一般人の通行は非常に危険なため通行止めとしている
・しかしこの奥には民家があり定住している方(明治時代より地蔵尊を管理されている家系)がいて、参拝客のために案内板を立てている。
小樽市が「立ち入り禁止」にする理由も理解できますが、ここは住民にとって昔から買い出しなどで普通に使っている生活道路でもあるということなのです。
もっといえば、この道を通るのがもっとも支障なく市内に行くことができるメインストリート。このほかのルートはさらに大変で危険なのです。
住民の方から見れば、突然「立ち入り禁止」にされたというところ。
ただ、この道を整備するには莫大な費用がかかるのは明らか。
市が一つの民家のためにたくさんの税金を使い整備するはずもなく、住民に「退去して」と交渉していました。
しかし住民にとってはそんなことできません、尊いオタモイ地蔵尊を守るお役目がありますから。
このように難しい状況下ですが、近年になり突如、再開発・整備の話も出ているんです。
あのインテリア販売のニトリ社がその意向を示し、すでに調査費を出資しているのです。
今後の動向に注目。
【最近の様子】~2016年~
【現在(2021年7月)のレポート】
前々回の【小樽・オタモイ秘境特集シリーズ3】で使用した地図をもう一度掲載しますね。
GからFの往復です(「駐車場」は、Gの右奥)。

ブログの読みやすさを考えると、この辺で次の記事に分割するほうが良いとは思うのですが、このページに情報を集約させたい思いがあるので多数の写真を一気に掲載することにします。
長い記事になっていますがどうかお許しください。
①駐車場→最初の洞窟
駐車場に到着すると、たまたまある方に出会いました。
柵や道等の補修を自主的にされているとのこと。
この先の道の状況をお聞きし、いろいろ話していると「絵葉書も見る?」と個人で集めた資料が収められたファイルを持ってきてくれて説明してくれました。
自分としては多少の知識はあったのですが、これもいい体験と思いありがたくお聞きしました。
入口。擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)や階段はもちろん当時のままです。
擬宝珠はさっきの絵葉書にも写っていますね。

さきほど書いたように、「通行禁止ではあるが日常の生活道路」である遊歩道を進みます。
実際、参拝者や管理人に毎日のように使われており、いつか崩落事故で犠牲者がでる恐れはありますが、ここを通らずして地蔵尊のお参りは不可能。
距離的には竜宮閣跡までたったの5分程度、オタモイ地蔵尊はさらに5分程度と非常に短いです。
頻繁に崩落している崖には一応保護ネットが装着されています。
道幅は細め。でも今でも人が歩いている道なので獣道ではなくちゃんと歩けます。
駐車場からも見える唐門を通過。
たまたま、ボランティアの方が石を除去してくれたタイミングだったそうで、とても歩きやすい。
②最初の洞窟→白蛇弁天洞
一応、常に上方を気にして歩いています。
あっという間に竜宮閣跡が見えてきました。
あそこ、ものすごい景色がいいんだよなぁ。
白蛇弁天洞(奥の院)に到着
神秘的な雰囲気。すごいパワーを放出してる。
持ってきたお酒を置いてお参りをします。
出口からは竜宮閣跡が見えます。
白蛇が出現しているという岩壁。
では、竜宮閣跡にいきましょう。
③龍宮閣跡(白蛇弁天洞の正面)
ここが日本の絶景だと思っています。
目もくらむほど高い崖と広大な海原。海はこのように鮮やかなコバルトブルー。
ただ、ここの展望台には誰が捨てたのかたばこの吸い殻が複数落ちていて、拾いました。
こんな美しい場所に、ゴミは似合わないですからね。
さらに前方にはオタモイ地蔵尊が安置されている村上さんの家が見えています。
まぁ、すごいところを歩いていますよね。
もちろん色加工してませんからね。それなのにこの色です。
もう一度、白蛇弁天洞(奥の院)
以上が竜宮閣跡の展望台からの景色です。いかがでしたか?
④龍宮閣跡→洞窟(第二洞窟、第三洞窟)
このあたりから道はさらに細めですが、なんてことはないです。
洞窟は天井高がやや下がるので頭をぶつけないように。
ほんとうに美しい。
竜宮閣跡を振り返ります。
⑤オタモイ地蔵尊
地蔵尊の広場、というか、村上さんの家に到着しました(左端の家)。
竜宮閣跡の展望台で休憩しなければたったの10分程度。駐車場から近いですね。
ちなみに右奥の建物は、団体の参拝客がきたときの休憩所で畳が敷かれた広い家になっています(内部ををみせていただきました)。
早速、村上さんが出てきてくれました。
このまま一時間ほどここでおしゃべり。
村上洋一氏は現在ちょうど70歳。
崖と崖との中間にある土地で、たった一人でひっそりと穏やかに暮らしています。
明治時代(1875年)からオタモイ地蔵尊を代々守り続ける村上家。
仏さまのように穏やかに接してくれてとてもやさしい方です。
突然「テレビアンテナ詳しい?」と聞かれたのでどうしましたかと聞くと
3日前から映らなくなったそうです(※ここには電気が来ています!)。
アンテナは案外丈夫なものなのでケーブルを疑いましたが、アンテナとの接合はしっかりしており、途中の断線か、テレビ側の不具合も考えられます。
アンテナケーブルは一部地下配管を通っているのでわかりませんでした。
もしここを訪ねる方がいましたら見てあげてください<(_ _)>。
なぜか絵文字による般若心経をいただきました。
さらに、普通の地図には描かれていない山道の地図をもらいました。
駐車場までは700Mと書いてありますね。
実はこの地図の一番上の「旧道」は、私さっき歩いていた場所です(前回のブログ記事)。
昔は売店もあり、煎餅を売っていたとのこと。
手水舎(ちょうずや)
海にも降りれますが正面は崖なので敷地横の道から行けます(やや危険)
海への道を草刈り中の村上さん
蛇の抜け殻落ちてるよ、と教えてくれた。
オタモイはマムシが多数生息していることで知られています。
草むらと岩場には特に注意…!
見て。トラック一台くらい大きな岩。上からの崩落です。
ここには以前7件ほどニシン漁師が住んでいましたが、あまりに危険なため市内に転居。
村上さんの家には落ちたことがないです。
きれい…。そろそろ駐車場が近くなりました。
前述しましたが
現在「オタモイ遊園地跡 再開発案」が浮上しています。
どうなるかは不明だけど、ニトリが調査費として5千万円も出資しているというから本気度を感じますね。
でもこのあたりはさすがの経営感覚だと思います。
だって、オタモイの風景は札幌から1時間足らずで行けるのに、唯一無二の絶景なのだから。
ここを観光資源にしない手はないはずなのです。

~オタモイ遊園地・龍宮閣とオタモイ地蔵尊~
★今回は長い記事になりそうです。
お時間に余裕があるときにゆっくりとお読みください…。
北海道の秘境のひとつ、オタモイ海岸に存在したオタモイ遊園地。
過去にもブログには書いてきましたが、概略を書き留めておきます。
【概略】
・小樽の割烹料亭「蛇の目」経営者加藤秋太郎氏が、昭和初期(1936年)に開園したリゾート施設(総計22万坪?)。最盛期には一日数千人もの観光客で賑わった模様。
・莫大な投資をするが、結局17年しか営業できなかった(開園1936年、閉園1952年)
・第二次世界大戦が勃発したことによる倹約世情や、多数の災難<火事、落石、土砂崩れ、積雪倒壊など>にあう苦難の経営となった。
このため「人が近づいてはいけない神聖な場所なのだ」、という説もある。
【構成施設】
・龍宮閣
断崖絶壁に立つ高級料亭。
清水寺を凌ぐ建物を作るという志により、建築材料を船で運び苦難の建設作業の末、完成。
ここでの屋根工事はあまりに危険であり、実際に大工に死者もでた。
「龍宮」とはオタモイで見られる蜃気楼の様子から名づけられた。火災で全焼。
・弁天閣(弁天食堂)
大衆食堂(土砂崩れで崩壊)
・大演芸場
800名収容の大きな演芸場。しかも観覧無料であった。雪の重みで倒壊。
・児童遊園、ヒョウタン池
グラウンド、土俵、公園遊具、砂場、池など。
・休憩所
50名収容の無料休憩所。サッポロ休憩所という名称だった。
・オタモイ地蔵尊
悲しい出来事をきっかけに建立された地蔵尊(現存)。
子宝や授乳など様々なご利益があると伝えられ参拝者が絶え間なく訪れた。
・白蛇弁天堂
弁財天。落石で崩壊。
龍宮閣の前には崖を掘ってつくられた奥の院「白蛇弁天洞(現存)」もある。
正面の岩壁には白蛇の姿がみられたという。
まずはYouTubeに掲載された開園当初を撮影した非常に貴重な8ミリフィルム映像を紹介します。
【オタモイ遊園地 8ミリフィルム映像】
一般の方が小樽市総合博物館運河館に寄贈されたものとのこと。要は個人撮影作品。
さらに、このような歴史的映像もあるようです。
冒頭にオタモイ遊園地が。(無声動画)
【当時の絵葉書】
オタモイ遊園地の絵葉書というものが存在します。
アンティーク品として時々ネットオークションに出品されることもあるので入手も可能です。
絵葉書とはいえ立派な資料価値がありますよ。
【近年の様子】~2013年~
ここには毎年立ち寄っています。
写真を撮ることもあり、これは2013年の写真。
向かおうとするといきなり「通行止め」の注意書きが目に入ります。
ところでオタモイ遊園地の入口にあった唐門の絵、なかなかの出来ですよね。
移設された唐門はちょっと隠れ気味な場所にあり、もう少し良き場所があるのに、と思います。
「七曲り」というヘアピンカーブを抜けると駐車場に出ます。
ここからがオタモイ遊園地があった場所。
頻繁な崩落により立ち入り禁止になっています。
それでも昭和後期(平成初期?)までは人気の散策コースだった懐かしい景色はそのままなので嬉しい。
当時のパンフレットのイラストは当時の様子を説明する案内板にも使われています。
駐車場には強い口調で「立ち入り禁止」の警告看板が立ちはだかっています。
一方、その下には「地蔵尊のカギ開けますから電話して」の案内。
相反していますよね?
実はこういうからくりがあります。
・小樽市としては頻繁な崖の崩落を把握しており、一般人の通行は非常に危険なため通行止めとしている
・しかしこの奥には民家があり定住している方(明治時代より地蔵尊を管理されている家系)がいて、参拝客のために案内板を立てている。
小樽市が「立ち入り禁止」にする理由も理解できますが、ここは住民にとって昔から買い出しなどで普通に使っている生活道路でもあるということなのです。
もっといえば、この道を通るのがもっとも支障なく市内に行くことができるメインストリート。このほかのルートはさらに大変で危険なのです。
住民の方から見れば、突然「立ち入り禁止」にされたというところ。
ただ、この道を整備するには莫大な費用がかかるのは明らか。
市が一つの民家のためにたくさんの税金を使い整備するはずもなく、住民に「退去して」と交渉していました。
しかし住民にとってはそんなことできません、尊いオタモイ地蔵尊を守るお役目がありますから。
このように難しい状況下ですが、近年になり突如、再開発・整備の話も出ているんです。
あのインテリア販売のニトリ社がその意向を示し、すでに調査費を出資しているのです。
今後の動向に注目。
【最近の様子】~2016年~
【現在(2021年7月)のレポート】
前々回の【小樽・オタモイ秘境特集シリーズ3】で使用した地図をもう一度掲載しますね。
GからFの往復です(「駐車場」は、Gの右奥)。

ブログの読みやすさを考えると、この辺で次の記事に分割するほうが良いとは思うのですが、このページに情報を集約させたい思いがあるので多数の写真を一気に掲載することにします。
長い記事になっていますがどうかお許しください。
①駐車場→最初の洞窟
駐車場に到着すると、たまたまある方に出会いました。
柵や道等の補修を自主的にされているとのこと。
この先の道の状況をお聞きし、いろいろ話していると「絵葉書も見る?」と個人で集めた資料が収められたファイルを持ってきてくれて説明してくれました。
自分としては多少の知識はあったのですが、これもいい体験と思いありがたくお聞きしました。
入口。擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)や階段はもちろん当時のままです。
擬宝珠はさっきの絵葉書にも写っていますね。

さきほど書いたように、「通行禁止ではあるが日常の生活道路」である遊歩道を進みます。
実際、参拝者や管理人に毎日のように使われており、いつか崩落事故で犠牲者がでる恐れはありますが、ここを通らずして地蔵尊のお参りは不可能。
距離的には竜宮閣跡までたったの5分程度、オタモイ地蔵尊はさらに5分程度と非常に短いです。
頻繁に崩落している崖には一応保護ネットが装着されています。
道幅は細め。でも今でも人が歩いている道なので獣道ではなくちゃんと歩けます。
駐車場からも見える唐門を通過。
たまたま、ボランティアの方が石を除去してくれたタイミングだったそうで、とても歩きやすい。
②最初の洞窟→白蛇弁天洞
一応、常に上方を気にして歩いています。
あっという間に竜宮閣跡が見えてきました。
あそこ、ものすごい景色がいいんだよなぁ。
白蛇弁天洞(奥の院)に到着
神秘的な雰囲気。すごいパワーを放出してる。
持ってきたお酒を置いてお参りをします。
出口からは竜宮閣跡が見えます。
白蛇が出現しているという岩壁。
では、竜宮閣跡にいきましょう。
③龍宮閣跡(白蛇弁天洞の正面)
ここが日本の絶景だと思っています。
目もくらむほど高い崖と広大な海原。海はこのように鮮やかなコバルトブルー。
ただ、ここの展望台には誰が捨てたのかたばこの吸い殻が複数落ちていて、拾いました。
こんな美しい場所に、ゴミは似合わないですからね。
さらに前方にはオタモイ地蔵尊が安置されている村上さんの家が見えています。
まぁ、すごいところを歩いていますよね。
もちろん色加工してませんからね。それなのにこの色です。
もう一度、白蛇弁天洞(奥の院)
以上が竜宮閣跡の展望台からの景色です。いかがでしたか?
④龍宮閣跡→洞窟(第二洞窟、第三洞窟)
このあたりから道はさらに細めですが、なんてことはないです。
洞窟は天井高がやや下がるので頭をぶつけないように。
ほんとうに美しい。
竜宮閣跡を振り返ります。
⑤オタモイ地蔵尊
地蔵尊の広場、というか、村上さんの家に到着しました(左端の家)。
竜宮閣跡の展望台で休憩しなければたったの10分程度。駐車場から近いですね。
ちなみに右奥の建物は、団体の参拝客がきたときの休憩所で畳が敷かれた広い家になっています(内部ををみせていただきました)。
早速、村上さんが出てきてくれました。
このまま一時間ほどここでおしゃべり。
村上洋一氏は現在ちょうど70歳。
崖と崖との中間にある土地で、たった一人でひっそりと穏やかに暮らしています。
明治時代(1875年)からオタモイ地蔵尊を代々守り続ける村上家。
仏さまのように穏やかに接してくれてとてもやさしい方です。
突然「テレビアンテナ詳しい?」と聞かれたのでどうしましたかと聞くと
3日前から映らなくなったそうです(※ここには電気が来ています!)。
アンテナは案外丈夫なものなのでケーブルを疑いましたが、アンテナとの接合はしっかりしており、途中の断線か、テレビ側の不具合も考えられます。
アンテナケーブルは一部地下配管を通っているのでわかりませんでした。
もしここを訪ねる方がいましたら見てあげてください<(_ _)>。
なぜか絵文字による般若心経をいただきました。
さらに、普通の地図には描かれていない山道の地図をもらいました。
駐車場までは700Mと書いてありますね。
実はこの地図の一番上の「旧道」は、私さっき歩いていた場所です(前回のブログ記事)。
昔は売店もあり、煎餅を売っていたとのこと。
気持ちのよい東屋。
正直、世間を離れ、こんな神聖で雄大な景色の中で悠々と暮らしているのが羨ましいです。
当時のオタモイ遊園地パンフにも出ているじぞう堂。
当時のままです。
持参したお酒を献上して線香つけてお参りしていると村上さんがロウソクを灯してくれました。
オタモイ地蔵尊はとても立派なお地蔵様。
さらにこの中と別棟あわせて3000体以上のお地蔵様が安置されているのです。
それだけご利益があることを証明しています。
参拝客が減ったためオタモイ地蔵法要は年一度に回数を減らしているようです。
オタモイ地蔵尊という特別なお地蔵様なので写真は無理だろうと思っていましたが、やはり「ここは写真は撮らないでね」とのことです。
持参したお酒を献上して線香つけてお参りしていると村上さんがロウソクを灯してくれました。
オタモイ地蔵尊はとても立派なお地蔵様。
さらにこの中と別棟あわせて3000体以上のお地蔵様が安置されているのです。
それだけご利益があることを証明しています。
参拝客が減ったためオタモイ地蔵法要は年一度に回数を減らしているようです。
オタモイ地蔵尊という特別なお地蔵様なので写真は無理だろうと思っていましたが、やはり「ここは写真は撮らないでね」とのことです。
お参りを終えて靴(山靴)をはいていると、「それいいね。いくらぐらいするの? 以前似た靴を買ったけど5千円ほどの物だったせいかダメだったな」とのこと。
たしかにここで暮らしていたら山靴は必需品ですよね。
昔は山の斜面で畑をやってたそうですし。
冬はカンジキで山を歩くそうですよ。
※テレビ番組「ポツンと一軒家」の取材はすでに断っているのでテレビ局への推奨はやめてください
手水舎(ちょうずや)
海にも降りれますが正面は崖なので敷地横の道から行けます(やや危険)
海への道を草刈り中の村上さん
蛇の抜け殻落ちてるよ、と教えてくれた。
オタモイはマムシが多数生息していることで知られています。
草むらと岩場には特に注意…!
見て。トラック一台くらい大きな岩。上からの崩落です。
ここには以前7件ほどニシン漁師が住んでいましたが、あまりに危険なため市内に転居。
村上さんの家には落ちたことがないです。
⑥復路(オタモイ地蔵尊→駐車場)
長居してしまったので帰ります。村上さんは「また来てね」と優しいです。
長居してしまったので帰ります。村上さんは「また来てね」と優しいです。
ここが一番危険な道かな。
落とし穴もあり、柵は頼りないロープしかないので崖下への落下に厳重注意。
バランスを崩して落ちたら、確実にあの世です。
村上さんはこの道で歩き買い出しに行って10キロ以上の荷物を背負って歩いています。
バランスを崩して落ちたら、確実にあの世です。
村上さんはこの道で歩き買い出しに行って10キロ以上の荷物を背負って歩いています。
海藻
きれい…。そろそろ駐車場が近くなりました。
駐車場に戻るとさっきの自主ボランティアの方がまだいました。
「ずいぶん時間経ったからどこまで行ったかと思ったよ」
「村上さんとずっとしゃべってて」
「そうかぁー(笑)」
長くなってしまいましたが、以上でレポートを終わります。
◆そして今後…
「ずいぶん時間経ったからどこまで行ったかと思ったよ」
「村上さんとずっとしゃべってて」
「そうかぁー(笑)」
長くなってしまいましたが、以上でレポートを終わります。
◆そして今後…
前述しましたが
現在「オタモイ遊園地跡 再開発案」が浮上しています。
どうなるかは不明だけど、ニトリが調査費として5千万円も出資しているというから本気度を感じますね。
でもこのあたりはさすがの経営感覚だと思います。
だって、オタモイの風景は札幌から1時間足らずで行けるのに、唯一無二の絶景なのだから。
ここを観光資源にしない手はないはずなのです。


